砲弾の合間に、ブドウは実る——シャトー・ミュザールと15年間の静かな抵抗

レバノンのワインセラーに並ぶシャトー・ミュザールのボトル ワイン選び・入門
内戦を生き抜いたシャトー・ミュザールのワインセラー

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1984年、英国ロンドン。

ワイン界で最も権威ある雑誌「デキャンタ」の授賞式に、一人のレバノン人が壇上へと呼ばれた。

セルジュ・ホシャール。44歳。

彼が受け取ったのは、創設されたばかりの「マン・オブ・ザ・イヤー」——ワイン業界における最高の栄誉のひとつだった。スピーチの中で誰かが叫んだ。「あなたは一体、どうやって内戦の中でワインを造り続けたんですか?」

セルジュはにやりと笑って、こう答えた。

「戦争は、酵母を殺さない。」

場内が、静まり返った。

地中海の楽園で生まれた、一本の覚悟

レバノン。その名を聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。

砲弾の映像。難民の群れ。不安定な中東の火薬庫——多くの人がそう連想するかもしれない。だが、歴史を遡れば、このフェニキア人の土地は人類最古のワイン産地のひとつだ。紀元前4500年、ここの人々はすでにブドウを育て、石の壺に発酵させたジュースを詰めていた。地中海の青い光と、ベッカー高原の乾いた空気と、夜の冷え込みが生む寒暖差が、この土地のブドウを比類ない存在にしていた。

1930年。ガストン・ホシャールはボルドーでの修業を終えて帰国した。彼はベイルートの北24キロ、ギャジルという村に小さなシャトーを設立する。周囲の目には「狂気の挑戦」に映ったかもしれない。当時のレバノンワインなど、誰も真剣に受け取らなかった。

しかしガストンは確信していた。この土地には、世界に誇れるワインができる、と。

シャトー・ミュザール——その名は、近くの丘にある古い要塞に由来する。要塞。砦。のちにその名が、文字通りの意味を持つことになるとは、誰も知らなかった。

息子の帰還、そして嵐の前夜

1939年、セルジュ・ホシャールはベイルートで生まれた。

彼は工学を学び、法律を学び、やがてボルドーへ渡った。そこで師事したのは20世紀最高の醸造家と称される二人——エミール・ペイノーとパスカル・リベロー=ゲイヨン。巨人の薫陶を受けた彼は1964年、レバノンへ帰国した。

醸造の全権を引き継いだセルジュは、すぐに周囲を驚かせることになる。

彼は「ルール」を嫌った。ワインはこうあるべきだ、という既成概念を鼻でせせら笑った。カベルネ・ソーヴィニヨン、カリニャン、サンソーというブドウを混醸し、何年も何年もセラーで眠らせ、最低7年経ってからしかリリースしない。「熟成しすぎだ」「時代遅れだ」と言われた。

彼は意に介さなかった。

「カベルネは骨格、カリニャンは肉、サンソーは香り。それが私のワインだ」

セルジュ・ホシャール

そして1974年、セルジュは正式にシャトー・ミュザールの経営を引き継ぐ。

その翌年——内戦が始まった。

1975年。楽園の崩壊。

レバノン内戦。

キリスト教徒とイスラム教徒、パレスチナ解放機構、シリア軍、イスラエル軍……複数の勢力が絡み合い、小さな国土の中で15年以上にわたって殺し合い続ける泥沼の戦争が始まった。

ベイルートの街は東と西に分断された。スナイパーが屋根に陣取り、車爆弾が市場を吹き飛ばした。美しかった「中東のパリ」は、瓦礫と恐怖の街に変わっていった。

シャトー・ミュザールのワイナリーはギャジル——ベイルート北方の比較的安全な丘の上にある。しかしブドウ畑は違った。ベッカー高原。ベイルートから東へ40キロ。標高1000メートル。地中海から吹き込む風と、ヘルモン山からの冷気が交差するこの谷は、レバノン最良の農地であると同時に、各勢力が争奪する戦略的要衝でもあった。

畑とワイナリーの間に、前線が引かれた。

収穫の季節に、砲弾が鳴る

毎年8月から9月、ブドウが熟す季節になると、セルジュは決断を迫られた。

「行くか。行かないか。」

普通ならためらう必要もない。しかしこの決断は、文字通り命がけだった。ベッカー高原の畑まで、通常なら70キロ足らずの道のりだ。しかし内戦中、その道は検問所に遮られ、民兵に支配され、砲撃の合間にのみ通行できる死の回廊となっていた。

それでも毎年、収穫は行われた。

「砲弾の合間に収穫する」——これは比喩ではない。文字通り、砲撃が止んだ瞬間を見計らって畑に入り、ブドウを摘み、急いで引き上げる。ベドウィンの季節労働者たちが、轟音の中で黙々とハサミを動かした。

そしてさらなる試練が、収穫したブドウを運ぶ段階で待っていた。

二台のトラックが走った、五日間と七日間

1984年のヴィンテージを語るとき、セルジュはいつも少し表情を変えた。

「あの年は最悪だと知っていた。収穫は40日遅れた。そして輸送がどれほどひどかったか——あの年、民兵の検問所をすり抜けるために私たちが使ったルートの数を、あなたには想像もできないだろう」

セルジュ・ホシャール

1984年、収穫できたブドウの量はわずかトラック2台分だった。そして奇しくも、その2台に乗り込む勇気のある運転手も、ちょうど2人しかいなかった。

2人は別々のルートを選んだ。民兵が違えば、通れる検問所も違う。どちらのルートが正解かは誰にもわからない。ただ走るしかない。

一台は5日かかった。もう一台は7日かかった。

通常70キロの道のりを、うまくいけば迂回路で250キロ。最悪の場合は地中海の港から別の港へ、船で運んだこともあった。

2台のトラックが到着した瞬間、セルジュはブドウの状態を確認した。傷んでいないか。酸化していないか。すべての努力が無駄になっていないか。

——問題なかった。

その年のワインは、後年ミュザール史上でも特別な位置に置かれることになる。

唯一の「空白」——1976年

15年の内戦の中で、ミュザールがワインを造れなかったのはただ一度きりだった。

1976年。

その年、レバノン全土は完全な混乱状態に陥っていた。電気がなかった。燃料がなかった。輸送手段がなかった。そして何より、畑に向かうことができなかった。セルジュが初めて、収穫を諦めた年。

ミュザールのカタログに「1976」という文字は存在しない。

この空白こそが、逆説的に15年間の「奇跡」を物語る。一度だけ。たった一度だけ。

戦場で守られた命

15年間の内戦が終わったとき、セルジュは驚くべき事実に気づいた。

ミュザールの従業員は、一人も死ななかった。

隣人が殺された。友人が爆弾で吹き飛ばされた。ベイルートは焦土になった。しかしシャトー・ミュザールで働く人間は、奇跡的に全員生き延びた。後年セルジュはこう述べている——「振り返れば、ミュザールはレバノンで最も安全な場所だったのかもしれない」

それがどういう意味か、セルジュは深く語らなかった。ただ、ワインを造り続けることが、人々を守ったのかもしれない。目的があれば、人は動く。動いている人間には、感傷に浸る暇も、恐怖に溺れる余裕もない。

哲学者のワイン

セルジュ・ホシャールは自分のことを「醸造家」ではなく「哲学者」と呼んだ。

「私はいつも自分が哲学者だと感じていた。最初からワインを造りたかったわけじゃない。ただ、自然を尊重した、誰もやっていないものを造れると感じた」

彼のワインは教科書通りではなかった。濾過を最小限にし、亜硫酸の添加を極力抑え、長期熟成を前提に造る。7年以上セラーで眠らせてからリリースするため、今ショップに並んでいるのは十数年前のヴィンテージだ。

「ワインは決して同じではない。決して、決して、決して。彼らはあなたと一緒に歳を取る。あなたが変わる、ワインも変わる。それが本物のワインだ」

セルジュ・ホシャール

サンソー種への愛を語る彼の言葉も残っている——「私はサンソーへの愛が止まらない。絹のような、女性的な柔らかさをワインに与えてくれる。流行遅れと言われても、私はこの品種を手放さない」

メキシコの海で

2014年12月31日。大晦日。

セルジュ・ホシャールはメキシコのアカプルコにいた。75歳の誕生日を家族と祝うための旅行だった。

砲弾をくぐり抜け、検問所を越え、15年の内戦を生き延びた男が——穏やかな海で溺れた。

享年75歳。

ワイン界は震撼した。「レバノンワインの父」が、戦場ではなく、休暇の海で逝ったことへの、何とも言えない皮肉な静寂が世界を包んだ。世界中のワイン専門家が追悼文を書いた。「彼なしに今日のレバノンワインはない」「彼は単なる醸造家ではなく、生き方そのものが芸術だった」——

今、シャトー・ミュザールはセルジュの息子たち、ガストンとマルクが引き継いでいる。父の哲学を守りながら、ベッカー高原のブドウは今年も実を結ぶ。2023年にはイスラエルとヒズボラの戦闘がレバノン南部で激化した。ミュザールの醸造責任者はこう答えた。「私たちは常に高度な緊張状態にある。でも、造り続ける。それがミュザールだ」

セルジュの声が、空気を震わせるように聞こえる気がした。

戦争は、酵母を殺さない。

一本のボトルを、手に取るとき

シャトー・ミュザールのボトルには、何も特別なことは書かれていない。

ラベルは質素だ。ロゴも控えめで、産地も品種も、目立つ場所には書かれていない。

だが、あのブドウ畑を思い出してほしい。シリア軍とイスラエル軍の戦車が向き合って対峙していた、その間に立つブドウの木を。民兵の検問所を7日かけて越えてきたトラックの荷台に積まれていたブドウを。砲声が止んだ3秒を狙ってハサミを入れたベドウィンの手を。

このワインは1000メートルの高地で育ち、戦場を越えて、セルジュの哲学の中で眠り、十数年後にあなたのグラスに注がれる。

飲み込む前に、少しだけ待ってほしい。

どんな高級ワインにも、このボトルが内包している「時間」と「意志」はない。3,000円のワインが、100,000円のシャンパンに持てないものを持っている——そういう体験が、世界にはある。

「彼らはあなたと一緒に歳を取る。」

セルジュ・ホシャール

そのワインを、あなたはどんな夜に開けるだろうか。

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🍷 シャトー・ミュザール レッド
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